私たちが馴染みある落語家の三遊亭円楽さんといえばやはり、毎週日曜放送の『笑点』。
この記事では、毒舌と腹黒キャラを武器に、一躍お茶の間の人気者となった三遊亭円楽さんのこれまでの動画をまとめました。
そして2022年9月30日に、肺炎のため帰らぬ人となってしまった三遊亭円楽さん。
もうあの姿が見れないのだと思うと、寂しくてなりません。
落語家・三遊亭円楽さんを悼み、生涯人を楽しませた姿を一緒に振り返ってみましょう。
六代目三遊亭円楽/船徳(1996年:楽太郎時代)
こちらは三遊亭円楽さんがまだ楽太郎だった頃の動画です。
まだまだ現役真っ只中!
この時はすでに笑点メンバーとして活躍していますよ!
私も子供時代は毎週日曜日夕方の笑点が楽しみで、当時の名物でもあった三遊亭円楽(楽太郎)さんと桂歌丸さんの罵り合いに、祖父と一緒に大笑いして観ていたのを思い出します。
また三遊亭円楽さんが笑点メンバーとなったのは、1977年8月28日、六代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなりました。
五代目圓楽の降板で欠員が出ていたため、5代目が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなったのだとか。
三遊亭円楽(楽太郎)さんといえば紫色のイメージですが、このような経緯があったのですね!
1970年4月の青山学院大学在学中に、五代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願。
付き人を経てスカウトされ入門し、大師匠六代目三遊亭圓生の命名により「楽太郎」を名乗る。
圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。
2022年1月・新年の抱負
こちらは大病を患いながらも、まだまだ元気な三遊亭円楽さんの動画。
この時は誰もが笑点での腹黒いキャラクターをまた観れるのではと、三遊亭円楽さんの復活に心躍らせていたのではないでしょうか?
動画内では三遊亭円楽さんが、2018年に肺がん、その翌年には脳腫瘍と二度大病を患い、新型コロナウイルスの影響もあって「この4年はボロボロ」だったと語っていますが、その語る顔は『カメラの前に』『みんなの前に』立てていることを心から喜んでいるように見えます。
噺家と言われるだけあって、やっぱりみんなの前で話すことが本当に好きなんだなぁと伝わってきますよね!
大病(肺がん、脳腫瘍)を2年患ってコロナで2年、この4年はボロボロでしたからね。今年は夢いっぱいに元気いっぱいに過ごそうと思ってます。“明るいがん患者”なんですよ。検査をしながら、いいあんばいに再発と転移がないから、このまんま維持療法を続けていきましょうと年末にもお医者さんが言ってくれましたんでね。覚えておいてください、芸人以前に病人なんだと。(林家)木久扇さんもある意味、病人でございます。笑点メンバーみんな少し病人です。
でも、明るい病人ですから(笑)どうぞ笑点も今年1年よろしくお願いします。
えっ!?なんですか?司会をやらないのか?
司会になっちゃうと、回答者が軽くなりますから、私はあの席でみんなの手綱を持って、オピニオンリーダーとして頑張って参ります。
オピニオンリーダーというのは、黄色いラーメン屋(林家木久扇さん)にはできる仕事ではありません。私の仕事です。
ただね、向こうの年寄り3人(三遊亭小遊三さん、三遊亭好楽さん、林家木久扇さん)もくたびれてますしね。
私もそう言っててくたびれてて病人でしょ。笑点もここでガラガラガラっと変わってくんじゃねえかと思ってね(笑)
私は生き残りますよ、正直言って。腹黒いから、頑張ります。
2022年、私ね、年男なんですよ。寅年なんです。そして、五黄の寅。
寅は千里駆けて千里戻るといわれます。
その勢いでもってね、虚勢を張ることなく、虎の威を借りる狐(きつね)ではなくて、虎として王道を、この額に黄金の虎が出るような、そんな活躍をしたいと思いますので皆さん応援してください。
一生懸命頑張って参ります。
涙の高座復帰
こちらは2022年8月11日、脳梗塞のためリハビリを続けていた三遊亭円楽さんが初日を迎えた『8月中席』で、およそ7か月ぶりに高座復帰を果たした時の動画です。
割れんばかりの拍手で迎えられた三遊亭円楽さんは、今の思いを涙ながらに観客へ伝えました。
俺ぐらいの落語家なんていうのはそこらへんにいくらでもいるんだから。
代わりはいくらでもいる。でもね、みんなの優しさでね。
みっともなくてもいいから死ぬまでやれって言うから、死ぬまでやります。あとの人生は急がない。できることだけやっていく。
みんなが助けてくれるから頑張ってこられた。
なんで急がないかっていうと病気が脳梗塞(NO高速)だからね。
これはね(林家)木久扇並だから言うのやめようかと思った。
また、笑点メンバー・林家木久扇さんの名前を挙げ、会場の笑いを誘いました。復帰できた喜びと、観客からの割れんばかりの拍手に思わず涙した三遊亭円楽さん。肌の色も白くなり、だいぶ痩せてしまった印象でしたが、生涯現役を決めた三遊亭円楽さんのその姿に胸を打たれたことが蘇ってきます。頑張れ!私も負けていられないと、勇気をもらったものです。
笑点の相棒とも言われる桂歌丸さんを偲んで
時系列で言えば2番目にくるこの動画ですが、あえて最後にさせていただきました。
桂歌丸さんがお亡くなりになった後の笑点での様子ですね。
当時笑点の相棒と呼べるほどに、桂歌丸さんとの罵り合いが名物でした。
私も笑点の中で、一番と言っていいほど好きだった時代ですね。
桂歌丸さんがいなくなり、もうあの掛け合いが見れないのかと寂しく感じていた頃でした。
そして三遊亭円楽さんまでもが・・。
三遊亭円楽さんのお言葉をお借りして・・・
早すぎるんだよぉ!!
三遊亭円楽さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。